Monday, March 24, 2008

マカオ今昔

平成20年3月25日

【ギャンブルの街マカオ】

澳門と書いてマカオと呼ぶのですが命名者は最初に上陸したポルトガル人で祀られて居た「阿媽(ア・マ-)」と言う海の神にちなんで阿媽の湾(ア・マ-・ガオ)と呼んだのが始まりと言われて居ます。

ギャンブルと言えばラスベガスが世界的に有名であり又その売上世界NO.1を長期間誇って来ましたが今ではマカオが世界NO.1に成長し大変な賑わいだとの事。
 
私はもう10年以上もマカオを訪問して居ませんが完全に様変わりしラスベガス並みの眠らないマカオに変身したそうです。

勿論世界各国から観光客やギャンブラ-がマカオを訪れて居ますがその中で一番多いのが本土からの中国人でしかも彼等の掛け金は半端ではないと言うのです。
 
農民達が平均月収3,000円の生活を強いられて居る一方で一晩に何千万円も賭ける中国人が大勢存在する事実を共産党首脳はどの様に受け止めて居るのでしょうか?

チベットや周辺で起きて居る暴動は宗教とは無関係に中国全土に広がり共産党政府を転覆させる可能性が益々出て来て居り1億2千万人と言われる出稼ぎ労働者によって農村と大都市との生活水準の大きさはテレビも無い様な僻地に住む農民達の知るところとなりその不満は何時爆発しても不思議はない状況を生み出して居るのです。

マカオはマカオ半島とその南のタイパ島・コロアン島そして造成地であるコタイ地区から出来て居ますがその総面積は世田谷区の1/2と言う実に小さな面積です。
 
併しポルトガルの植民地時代に建てられた美しい建造物が沢山残って居りその街並が2005年に世界文化遺産に登録されました。

マカオのシンボルと言われる聖ポール天主堂跡のファザ-ドは天主堂そのものは火災で焼失して終って居ますが唯一残された建造物として聖母マリアの像に加え美しいレリーフ群が観光客に強い印象を与え続けて居ます。

イタリア人の設計と言われる聖ポール天主堂はその建設に中国人に加えキリシタン迫害によってマカオに逃れて来た日本人信徒が従事したと言う事ですがその日本人の遺骨は前述のファザードの後ろの地下納骨堂に納められて居るのです。

当時日本からマカオへの船旅は死を覚悟しての航海だったと思われますが宗教の強い力を再認識しました。

井上  出

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