玉川上水
平成20年7月22日
【江戸時代に作られた玉川上水の事】
江戸市内に広く水を供給する目的で1653 年4代将軍家綱は人口急増の結果水不足が深刻になった江戸全域に多摩川の水を引き入れ配水する計画を立てたと言うのです。 そしてその工事を請け負った玉 川庄右衛門とその弟の清右衛門が元流と最終配水地との標高差が約92MTしかなかったにも拘らず自然の勾配を利用し工事開始後8ヶ月で四谷大木戸までの工 事を完成したとの事です。
当時の江戸は人口100 万人を抱え世界最大の都市であったと言うのですが当時はリサイクルが完全に行われて居た為市内にはゴミ1つ落ちて居らず実にクリーンな街だったと言われて 居ます。 その住民100万人に充分な水を供給出来る様な大変な計画を実現させた事は土木技術の面からも高く評価されて居ます。
私のオフィスのあります文京区には東京都水道歴史博物館がありそこへ行けば江戸時代から今日に至る迄の水道の歴史を楽しく学べるとの事ですから御興味のある方はのぞいてみては如何でしょう。 住所は文京区2-7-1で電話は03-5802-9040です。
名古屋の細川さんから情報を頂き調査した結果を御伝えしました。
0 Comments:
Post a Comment
<< Home