Monday, March 31, 2008

チベット暴動

平成20年3月31日

【チベット暴動の原因】

ダライ・ラマが今回の暴動の首謀者だとして中国共産党首脳は彼との対話を拒否して居ます。彼が全く無関係と言う事は無いと思いますが対話を拒否し力で押さえ込もうとする政府の姿勢は世界中から非難を受けオリンピックにも影響が出ると思われます。

チベットまで高原鉄道が通じ毎日6,000人もの観光客が訪れる様になった事から表面的には経済が活況で土地の人々が潤って居る様に見えますがドット流れ込んで来た漢民族がホテルやみやげ物店そしてレストランの殆んどを独占して居りチベット人が入り込む余地もない様な状況が生れて居るのです。

当然の事ながらチベット人と外部から入り込んで来た中国人との所得格差は大きくなる一方で両者の軋轢は大きくチベット人の中国人に対する憎しみの情は頂点に達して居たのです。 マスメディアには出て来ませんが中国人経営の売春宿がチベットの少女達を狩り集め開業した事が今回の暴動の切っ掛けだと言う説もあります。

又中国商人達がチベットの貧しい家庭を回って古くから伝わって来た壷や仏像他を安値で買い漁り暴利を貪って居る事もチベット人達の怒りを買って居ます。

理想としてはチベットの独立を香港の様な形で承認する事ですがこれは難しい事でしょう。 併し武力でチベット人の不平・不満を押え込む事は不可能で中国政府は大きな譲歩を求められて居ます。

文芸春秋にチベット文化研究会理事の小林秀英と言う人が「チベットの国旗は大正時代に西本願寺の法主大谷光瑞によってチベットに派遣された青木文教と言う高僧がチベットの当時の主席大臣のタクラ氏と二人で考案したものだ」と紹介して居られますが、こんな話を聞くとチベットに肩入れしたくなります。

小林氏によれば国旗のみならず石炭鉱脈の調査・チベット軍近代化の為の指導更にチベット国民の為の初等教育学制創設と全てがダライ・ラマ十三世の依頼により青木僧によって実現されたと言うのです。

日本とこれだけ近い親しい関係を持つチベットの将来を我々日本人も親密になって見守り支援しようではありませんか。

井上  出

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