イノさんの文箱 (2006/12/05)
「電通の創業者『光永星郎(みつなが・ほしお)』の根性」
元日清戦争の従軍記者光永は戦線にあって自分の記事が日本に届く迄にあまりにも時間が掛りすぎ何時も苛立って居た事から帰国後は通信業に進出しようと考えて居たにも拘らず通信業を興すには膨大な資本が必要であり又政府や政党とも組む必要があると知って代りに広告会社を創業する事を決意し「日本広告株式会社」なる組織を1901年(明治34年)7月1日36才にして設立したとの事です。 これが現在の日本最大の広告代理店のはじまりなのです。
当時の最大の広告主は煙草メ-カ-でその頃は未だ煙草は国の専売にはなって居らず岩谷松平と村井吉兵衛の二人が競って居たのです。 そこで光永はこの二人のところに日参し広告を扱わせて貰う前に先ず株主になって欲しいとして前述の広告会社への出資を必死にたのみ込んだそうです。
その頃でも広告会社は何社もあり各社共スポンサ-獲得の為にあの手この手を操り広げて居たところへ広告を出して貰うと言うのではなく会社の株主になって貰う事を考えた光永のアイディアは素晴しいと思います。
併し岩谷も村井も仲々会っても呉れず苦戦した様ですが何とか岩谷を説得し出資して貰う事になり大喜びしたところ何とたったの10株だったと言うのです。 併し光永はこの最初の出資者岩谷を終生大事にしたとの事です。
一方の村井は何度訪問しても面談をして呉れなかったと言うのですが光永は名刺に毎回番号を書き込んで受付において来たそうで114番目の名刺を受付に渡したところはじめて村井に面接出来出資ではなく煙草の広告を貰ったそうです。
似た様な事は松下幸之助氏のところに日参した銀行マンに根負けし取引を開始した話と重なりますが人を動かす一番大切な武器は「根」だと言う事を光永は良く話して居たと言いますしこれが光永の事業に於ける成功の秘訣だと言われて居ます。
光永は「広告は現代商業の機械油であり繁栄の促進剤なり」としてその必要性を説いて居たと言うのですが私は「商社と言うのは昔から言われて居る様なメ-カ-とバイヤ-の間のパイプであると言うのは間違いで潤滑油でなければならない」と主張して来ました。 「メ-カ-とバイヤ-とが常に触れ合える機会を与えながら尚商社を潤滑油として利用することの必要性を認めさせる事」。 この姿勢が受け入れられ私の会社も何とか34年の歴史を細々ながらではありますが倒産もせず生きて来れた最大の要因だと信じて居ます。
井上 出 (06/12/05)
* * * * *
「カナダの自由党党首の英語が移民並?」
ケベック生れのケベック育ちで仏蘭西語の生活が長い事から英語が不得手と言う新党首を英語圏のカナダ人はどの様にうけとめて居るのでしょうか?
ケベック出身となれば当然の事ながらケベックの分離独立を希望して居る事でしょうし正直で人相も良いと言う事なので好ましい新党首と思われますがその辺のところが心配です。
新党首誕生をドイツではTVで報道したとの事ですが日本のマスコミは一切報道して居ません。 最近はカナダのニュ-スがある程度流れる様になりましたが日本のマスコミはカナダにはあまり力を入れて居ない様に思います。 御存知の事と思いますが今日本では知事や市長達が談合絡みで逮捕されて居ますがMISSISSAUGAの市長選をマカリオさんの様に91%の得票率で11選を達成したと言うトロントの田中さんからのニュ-ス等も流し日本の首長に猛省を促したいと思います。 これからもまた知事や首長たちの逮捕は続くと思います。
インタ-ンが連日面倒を見て呉れたとの事ですが羨ましいですね。 やはり移住先はカナダですね。 フィリピン系の看護婦がキンキン声だったとの事ですが以前にもお伝えした様に頭に響く様なキンキン声の女性は看護婦失格です。 むしろ低音の方が好ましいという事を亡妻の看護体験から痛感しました。
同室の大学教授と思しい男性が威張って居たとの事ですが自信の無い劣等意識の強い連中程威張りたがるものです。 「サンキュ-」と言う一言が人間関係の潤滑油になる事を知らない人が世の中には多過ぎますね。 一日も早い御回復を祈念して居ます。
井上 出 (06/12/05)
* * * * *
「日本の人間ドックについて」
長寿国日本では今健康ブ-ムで補助食品が良く売れて居ます。 又BODY CHECK-UPをする人も増えて居ます。 予防医学の分野も脚光を浴びる様になって来て居ますが寝たきり老人を減らし大勢の人に「ピンピンコロリ」で人生の最後を迎えて貰う事で医療費の削減も出来ますし好ましい事だと思います。 スポ-ツクラブも利用者は増え続けて居り最近はシャワ-も無い小さなクラブ゛が出来てきて居ます。
ボディ チェック アップをして貰うところが人間ドックと日本では呼ばれて居り全国の主要都市にある総合病院の中に設置されて居るケ-スが多いのですがこのところそれだけをビジネスにする人間ドックも沢山生れて居ます。 併しブ-ムの割には経営は厳しいようで利益を出して居るところは少なく会員募集の案内が良くダイレクトメ-ルで届きます。
そんな中私が入って居るPL健康管理センタ-と言う日帰りの人間ドックは大盛況で1日180人前後が受診して居ます。 会員の受診者は近頃は全体の10%に過ぎず90%は非会員、従って受診料も1人61,950円です。 従って毎日の一般利用者が160人として9,912,000円の現金収入があるのです大変なビジネスです。年間30億円の収入になります。
このPL健康管理センタ-は高校野球の名門校のPL高校を運営するPL教団が経営して居るのですが35年位前に設立された恐らく日本最初の人間ドックだと思います。 私は34年前に会社を始めましたがその際全社員と言っても4人でしたが1人50万円の入会金を払って加入しそれ以降年に2回受診して居ます。 先週の日曜の受診は何と67回目になります。
日帰りと言うと一泊検査と比較し何か中途半端な感じがしますがそれが最新式検査機器を全て揃えてありエスコ-トして呉れる女性が最初から最後迄付き添い流れる様に各種検査をして呉れその日の中に全ての検査結果が出るのです。
普通の人間ドックは血液を採取してもテスト機関に持込み後日結果が出ると言う事になるのですがPL健康管理センタ-は施設内に血液分析の出来る機器があり数時間内にあらゆる検査分析をして終うのです。
因みに医師は常時22人そしてスタッフの数は230人と言うのですから毎日受診する人以上のスタッフが対応して居るのです。 名実共に日本一の設備だと思われます。
そのドックも昔は殆んど男性受診者だったものが最近は40%が女性になりました。 唯でも女性の方が長寿であるところにスポ-ツクラブに通い人間ドックを受診し更に長生きしようと言うのですから男女の平均寿命の差は益々開くと思われます。 生れ変るならば今度は女性の方が良いかもしれませんね。 以上人間ドック盛況の御報告とします。
井上 出 (06/12/05)
元日清戦争の従軍記者光永は戦線にあって自分の記事が日本に届く迄にあまりにも時間が掛りすぎ何時も苛立って居た事から帰国後は通信業に進出しようと考えて居たにも拘らず通信業を興すには膨大な資本が必要であり又政府や政党とも組む必要があると知って代りに広告会社を創業する事を決意し「日本広告株式会社」なる組織を1901年(明治34年)7月1日36才にして設立したとの事です。 これが現在の日本最大の広告代理店のはじまりなのです。
当時の最大の広告主は煙草メ-カ-でその頃は未だ煙草は国の専売にはなって居らず岩谷松平と村井吉兵衛の二人が競って居たのです。 そこで光永はこの二人のところに日参し広告を扱わせて貰う前に先ず株主になって欲しいとして前述の広告会社への出資を必死にたのみ込んだそうです。
その頃でも広告会社は何社もあり各社共スポンサ-獲得の為にあの手この手を操り広げて居たところへ広告を出して貰うと言うのではなく会社の株主になって貰う事を考えた光永のアイディアは素晴しいと思います。
併し岩谷も村井も仲々会っても呉れず苦戦した様ですが何とか岩谷を説得し出資して貰う事になり大喜びしたところ何とたったの10株だったと言うのです。 併し光永はこの最初の出資者岩谷を終生大事にしたとの事です。
一方の村井は何度訪問しても面談をして呉れなかったと言うのですが光永は名刺に毎回番号を書き込んで受付において来たそうで114番目の名刺を受付に渡したところはじめて村井に面接出来出資ではなく煙草の広告を貰ったそうです。
似た様な事は松下幸之助氏のところに日参した銀行マンに根負けし取引を開始した話と重なりますが人を動かす一番大切な武器は「根」だと言う事を光永は良く話して居たと言いますしこれが光永の事業に於ける成功の秘訣だと言われて居ます。
光永は「広告は現代商業の機械油であり繁栄の促進剤なり」としてその必要性を説いて居たと言うのですが私は「商社と言うのは昔から言われて居る様なメ-カ-とバイヤ-の間のパイプであると言うのは間違いで潤滑油でなければならない」と主張して来ました。 「メ-カ-とバイヤ-とが常に触れ合える機会を与えながら尚商社を潤滑油として利用することの必要性を認めさせる事」。 この姿勢が受け入れられ私の会社も何とか34年の歴史を細々ながらではありますが倒産もせず生きて来れた最大の要因だと信じて居ます。
井上 出 (06/12/05)
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「カナダの自由党党首の英語が移民並?」
ケベック生れのケベック育ちで仏蘭西語の生活が長い事から英語が不得手と言う新党首を英語圏のカナダ人はどの様にうけとめて居るのでしょうか?
ケベック出身となれば当然の事ながらケベックの分離独立を希望して居る事でしょうし正直で人相も良いと言う事なので好ましい新党首と思われますがその辺のところが心配です。
新党首誕生をドイツではTVで報道したとの事ですが日本のマスコミは一切報道して居ません。 最近はカナダのニュ-スがある程度流れる様になりましたが日本のマスコミはカナダにはあまり力を入れて居ない様に思います。 御存知の事と思いますが今日本では知事や市長達が談合絡みで逮捕されて居ますがMISSISSAUGAの市長選をマカリオさんの様に91%の得票率で11選を達成したと言うトロントの田中さんからのニュ-ス等も流し日本の首長に猛省を促したいと思います。 これからもまた知事や首長たちの逮捕は続くと思います。
インタ-ンが連日面倒を見て呉れたとの事ですが羨ましいですね。 やはり移住先はカナダですね。 フィリピン系の看護婦がキンキン声だったとの事ですが以前にもお伝えした様に頭に響く様なキンキン声の女性は看護婦失格です。 むしろ低音の方が好ましいという事を亡妻の看護体験から痛感しました。
同室の大学教授と思しい男性が威張って居たとの事ですが自信の無い劣等意識の強い連中程威張りたがるものです。 「サンキュ-」と言う一言が人間関係の潤滑油になる事を知らない人が世の中には多過ぎますね。 一日も早い御回復を祈念して居ます。
井上 出 (06/12/05)
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「日本の人間ドックについて」
長寿国日本では今健康ブ-ムで補助食品が良く売れて居ます。 又BODY CHECK-UPをする人も増えて居ます。 予防医学の分野も脚光を浴びる様になって来て居ますが寝たきり老人を減らし大勢の人に「ピンピンコロリ」で人生の最後を迎えて貰う事で医療費の削減も出来ますし好ましい事だと思います。 スポ-ツクラブも利用者は増え続けて居り最近はシャワ-も無い小さなクラブ゛が出来てきて居ます。
ボディ チェック アップをして貰うところが人間ドックと日本では呼ばれて居り全国の主要都市にある総合病院の中に設置されて居るケ-スが多いのですがこのところそれだけをビジネスにする人間ドックも沢山生れて居ます。 併しブ-ムの割には経営は厳しいようで利益を出して居るところは少なく会員募集の案内が良くダイレクトメ-ルで届きます。
そんな中私が入って居るPL健康管理センタ-と言う日帰りの人間ドックは大盛況で1日180人前後が受診して居ます。 会員の受診者は近頃は全体の10%に過ぎず90%は非会員、従って受診料も1人61,950円です。 従って毎日の一般利用者が160人として9,912,000円の現金収入があるのです大変なビジネスです。年間30億円の収入になります。
このPL健康管理センタ-は高校野球の名門校のPL高校を運営するPL教団が経営して居るのですが35年位前に設立された恐らく日本最初の人間ドックだと思います。 私は34年前に会社を始めましたがその際全社員と言っても4人でしたが1人50万円の入会金を払って加入しそれ以降年に2回受診して居ます。 先週の日曜の受診は何と67回目になります。
日帰りと言うと一泊検査と比較し何か中途半端な感じがしますがそれが最新式検査機器を全て揃えてありエスコ-トして呉れる女性が最初から最後迄付き添い流れる様に各種検査をして呉れその日の中に全ての検査結果が出るのです。
普通の人間ドックは血液を採取してもテスト機関に持込み後日結果が出ると言う事になるのですがPL健康管理センタ-は施設内に血液分析の出来る機器があり数時間内にあらゆる検査分析をして終うのです。
因みに医師は常時22人そしてスタッフの数は230人と言うのですから毎日受診する人以上のスタッフが対応して居るのです。 名実共に日本一の設備だと思われます。
そのドックも昔は殆んど男性受診者だったものが最近は40%が女性になりました。 唯でも女性の方が長寿であるところにスポ-ツクラブに通い人間ドックを受診し更に長生きしようと言うのですから男女の平均寿命の差は益々開くと思われます。 生れ変るならば今度は女性の方が良いかもしれませんね。 以上人間ドック盛況の御報告とします。
井上 出 (06/12/05)
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