F牧師
今年も残すところ4ヶ月となりました。 毎日仕事に追われ立ち停まっ て自分の人生を振り返る暇もないままに間もなく72年を迎えます。 自分が選んだ道とはいえ零細企業の親父には自分の時間等持てないと言う事実を改めて再 認識するこの頃です。 結局はオフィスで戦死と言う事になるのでしょう。
藤田牧師のクリスチャン・ライフ2008/09/01号を拝読し教会の存在について考えさせられました。 以前にも御伝えしましたが日本の教会は欧米の教会と違い入口を24時間開放すると言う様にはなって居ないのです。
治安の悪さが原因と言う事の様ですが殆どの教会は夜は入口に鍵を掛けて終います。 従って神の手に縋りたいと思っても朝迄
待たなければならないと言う事になります。 一般的には人の悩みは深夜にその頂点を迎える訳で教会の扉は24時間開放すべきだと私は考えます。
神社や日本の寺は24時間開放されて居ますし鍵の掛った神社や寺はないと思います。 勿論室内には入れない様にして居ると思いますが少なくともお賽銭箱の前で祈る事は出来ます。
そこで私はキリスト教教会にも入口に祭壇を設けて24時間そこに行けば神と向い合う事が出来る様にすべきだと思うのですが如何でしょうか?
数十年前の事ですがイタリ-に旅した折ローマのある教会の中のキリス トの像の下でボロを纏った老人がその足に何度もキスをを繰り返しながら何かを一生懸命祈って居た場面に遭遇しましたが教会の入口の外にキリストの像を置く 事で祭壇の代わりになると思います。 扉に鍵を掛けて信者をシャットアウトするのではなくこんな形で受け入れる様な事を各教団は考えてはどうでしょうか?
井上 出
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