銭湯復活を
平成20年8月12日
【銭湯の復活を!!】
我々の世代は銭湯で社会勉強をしたと言っても過言ではないかもしれません。 私は戦争中は岩手県盛岡市に疎開して居り小さな家で風呂が無かった事もあり銭湯は遊び場の延長の様なところでした。 そしてそこで上下関係や社会的マナ-を学んだものです。
私が通った銭湯は男湯と女湯の湯船が上部は区切られていましたが湯の中は仕切りがなかったので女湯にお客が少ない時は私達は潜水して男湯と女湯を往復して遊んだものです。
江戸っ子に多いと思うのですが盛岡の風呂屋にも鰡背(いなせ)な小父さんが良く来て熱い湯を水で埋めずに入って居たものですが私もそんな様子を見てその小父さんの隣りで歯を食いしばって入って居た事を想い出しました。
高度成長期の昭和43 年(1968年)には東京に2,687軒銭湯があったそうですが平成17年には約1,000軒に減り現在では1,000軒を切ったと言われて居ます。 江 戸時代から庶民の社交場として栄えた銭湯そして最近の様にコンピュータ-が友達と言う様な子供達に社会勉強をする機会を与える為にも銭湯の火を消さない様 皆さんも偶には銭湯に足を運んで下さい。 広い風呂場と大きな湯船で温泉気分を味わって下さい。
0 Comments:
Post a Comment
<< Home