五島哲氏の死
平成20年1月23日
【東急創業者3代目プリンスと呼ばれた五島哲さんの死】
強盗慶太と呼ばれた程全てに厳しかった祖父の五島慶太。 そして父五島昇は財界のプリンスとして又遊び人として脚光を浴び続けましたが3代目の五島哲ちゃんは東急建設の社長として41才で抜擢されはしましたが8年後に業績悪化の責任を取り辞任しました。 そして東急グル-プ総帥の道は完全に閉ざされて終ったのです。
私は東急が日本一のテニスクラブとして二子玉川に建設した玉川ラケットクラブで哲ちゃんとは良くテニスをしたりテニスの後食事をしたりして親しくさせて貰って居ましたが東急建設社長を更迭された後は会う事もなく昨年の12月16日に彼の死を知りました。
玉川ラケットクラブは名実共に日本一のテニスクラブで何時行っても直ぐにプレ-出来ましたし滝があったり室内コ-トもあり亡妻と一緒に良く利用しました。 フェデレ-ションズカップも行われた位で設備も素晴しかったのですが10年程前に閉鎖されました。
哲ちゃんはガッシリした体格でチョット近付き難い雰囲気がありましたが結構周囲の人に気を使うきめ細やかさもありました。 私達が驚いたのは食事の後余った物があると彼が常に持ち帰った事です。
玉川ラケットクラブのメンバ-はお金持が多かったので残り物を持ち帰る人は居なかったのですが彼は必ず家に持ち帰って居りその事が大変印象深く皆も「五島昇さんは哲ちゃんに良い教育をして居るね」等と噂したものです。
愛想は良くありませんでしたが何となく暖かい雰囲気を持って居た哲ちゃんの59才と言う若い死を心から悼みます。
井上 出
【東急創業者3代目プリンスと呼ばれた五島哲さんの死】
強盗慶太と呼ばれた程全てに厳しかった祖父の五島慶太。 そして父五島昇は財界のプリンスとして又遊び人として脚光を浴び続けましたが3代目の五島哲ちゃんは東急建設の社長として41才で抜擢されはしましたが8年後に業績悪化の責任を取り辞任しました。 そして東急グル-プ総帥の道は完全に閉ざされて終ったのです。
私は東急が日本一のテニスクラブとして二子玉川に建設した玉川ラケットクラブで哲ちゃんとは良くテニスをしたりテニスの後食事をしたりして親しくさせて貰って居ましたが東急建設社長を更迭された後は会う事もなく昨年の12月16日に彼の死を知りました。
玉川ラケットクラブは名実共に日本一のテニスクラブで何時行っても直ぐにプレ-出来ましたし滝があったり室内コ-トもあり亡妻と一緒に良く利用しました。 フェデレ-ションズカップも行われた位で設備も素晴しかったのですが10年程前に閉鎖されました。
哲ちゃんはガッシリした体格でチョット近付き難い雰囲気がありましたが結構周囲の人に気を使うきめ細やかさもありました。 私達が驚いたのは食事の後余った物があると彼が常に持ち帰った事です。
玉川ラケットクラブのメンバ-はお金持が多かったので残り物を持ち帰る人は居なかったのですが彼は必ず家に持ち帰って居りその事が大変印象深く皆も「五島昇さんは哲ちゃんに良い教育をして居るね」等と噂したものです。
愛想は良くありませんでしたが何となく暖かい雰囲気を持って居た哲ちゃんの59才と言う若い死を心から悼みます。
井上 出
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