Friday, February 08, 2008

`ナイトクラブ懐古

平成20年2月8日

【「コパカバ-ナ」と言う超高級ナイトクラブ】

私が若い頃には赤坂には「ニュ-ラテンクオ-タ-」「コパカバ-ナ」「コルドンブル」他そして六本木に「キャラバンサライ」青山に「ブル-シャト-」他ナイトクラブが沢山あり、又キャバレ-では「ゴ-ルデン月世界」と言う途方もなく大きな店もあり私も商社マンの端くれとしてその様な場所に出入したものです。

スカルノ元インドネシア大統領の第三夫人になったデビ夫人がホステスとして働いて居た「コパカバ-ナ」は東京ではやはりNO.1でこのクラブのホステスの多くは有名人や政財界のミストレスとして引かれたもので私が直接知って居るケ-スも3人程居ます。

この「コパカバ-ナ」と言うナイトクラブは台湾か中国系のチャンと言う女性がオーナ-で何時もクラブ内に目を光らせて居ました。 その貫禄はその辺のチンピラ等は恐れをなす程でした。

劇場の客席の様な雰囲気の中2階があってそこにホステス達が屯して居りその中から好みのホステスを選び一階のホールに降りるのですがクラブの上にステーキハウスがありホステス達はお客を誘ってクラブに入る前かクラブが跳ねた後に食事をしたものですが目がとび出る程高い料金でこれも彼女達の売上になる様な仕組みになって居ました。

クラブの料理は当時でも目をむく様な高さでフルーツの盛り合わせが40年以上も前に3万円もして居た事からも御想像頂けると思います。
 
併し右肩上りの経済成長下にあってはバブルに浮かれる客で何時も大繁盛でした。

外国から有名歌手やプレ-ヤ-が来日すると本公演前に「コパカバ-ナ」で歌ったり演奏したりした事から料金が高いのも仕方のない事だったかもしれません。

御承知の様に赤坂は現在では韓国村と呼ばれる程韓国人経営の小さなクラブや焼き肉屋が軒を列ねて居り昔の様なナイト・クラブはなくなりました。
一時は日本の政財界の大物連中が出入し第二次世界大戦の賠償がらみのビジネスに利用された「コパカバ-ナ」を懐かしく思い出すのは日野原先生の提唱される新老人(75才以上)と呼ばれる人達になって終いました。

井上  出

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